「ローカライズ」という言葉は、本来はITやビジネスの世界でよく使われます。
ソフトウェアやサービスを異なる国や地域に合わせて翻訳し、文化や習慣に馴染むよう調整すること。単なる翻訳ではなく、その土地に自然に溶け込ませる作業を意味します。
この言葉を植物にあてはめて「植物のローカライズ」と表現している場面に出会ったとき、私はとても惹かれました。
もちろん、これは植物学の専門用語ではありません。けれども、外からやってきた種や苗を畑に植え、年を重ねて代をつないでいくうちに、その植物が少しずつ土地に馴染んでいく。そうしたイメージを語るのに、とてもふさわしい言葉だと思ったのです。
私の畑の種も、気がつけば10年ほど代を重ねています。
最初は種だったのか苗だったのか、正確には覚えていません。おそらく、どこかの園芸店で買ってきた苗が始まりでした。そこから採った種を翌年また蒔き、さらに次の年も繰り返すうちに、いつの間にか毎年畑に根づく存在になっていました。
そして何より、この循環を支えてくれているのは奥さんです。
収穫したかぼちゃを調理するとき、頃合いを見て中の種をきれいに取り出し、乾かして翌年のために残しておいてくれる。
その小さな積み重ねがあったからこそ、私の畑では10年近くかぼちゃの命が続いてきたのだと思います。
旅をしてきた植物が、この土地で芽を出し、花を咲かせ、実を残す。
その種をまた蒔けば、二代目、三代目と続き、やがて気候や土に馴染んでいく。
まるで人が新しい町に移り住み、暮らしに溶け込んでいくように、植物もまた少しずつ土地の一部になっていくのです。
かぼちゃはとりわけ生命力が強く、つるをのばして葉を広げ、雑草を抑えながら畑を覆っていきます。
私の畑でも、一見草に負けているように見えながら、かぼちゃの葉の下には確かに雑草が少なく、防草効果を実感しました。
そのたくましさは、「土地に馴染もうとする力」の象徴のように思えます。
いつからか、自転車のかごいっぱいに収穫できる日が来る。
その実からまた種を採り、翌年も蒔く。
10年前に買った小さな苗から始まった循環が、いまもこうして続いていると思うと、なんだか不思議で、そして誇らしい気持ちになります。
ローカライズという言葉が、単なる技術用語を超えて、畑や暮らしの営みと重なった瞬間。
私はその響きがとても好きで、今日もまたこの土地にかぼちゃの種を託しました。
来年も再来年も、この町に馴染んでいく姿を、見守っていきたいと思います。
また、別の町にいるかもしれませんね。



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